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NSP CLUB 松戸 U-12体験会を開催いたします

新規にチームを立ち上げるNSP CLUB 松戸U-12では、選手を対象とした体験会をいたします。

対象:小学校1~2年生(幼稚園年長さんも歓迎)
日時:毎週土曜日9時15分~(5/1まで)
会場:松戸市立栗ケ沢小学校
服装:スポーツが可能な服装であればかまいません
靴:かかとがあって、スポーツができる靴であればかまいません
持ち物:飲み物をお願いします

ボールやその他備品はチームで用意してありますので、服装と靴だけ用意していただければ参加可能です。

お問い合わせは hisashi@nsp.football または 090-8800-7087 まで連絡をお願いいたします。

タカキナリタsoccerスクール体験のお知らせ

令和3年度、タカキナリタsoccerスクールの体験を実施いたします。(5/1まで)

北小金スクール

対象:小学校1~6年生
日時:毎週木曜日16時~(~小学3年)、17時半~(小学4年~)
会場:Z フットサルスポルト 松戸流山

栗ケ沢スクール

対象:小学校1~6年生
日時:毎週土曜日9時~(~小学3年)、10時~(小学4年~)
会場:松戸市立栗ケ沢小学校

服装:スポーツが可能な服装であればかまいません
靴:かかとがあって、スポーツができる靴であればかまいません(スパイクは不可)
持ち物:飲み物をお願いします

ボールやその他備品はスクールで用意してありますので、服装と靴だけ用意していただければ参加可能です。

お問い合わせ:hisashi@nsp.football または 090-8800-7087 まで連絡をお願いいたします。

メディア情報:GATHERさんに高木成太を登場させていただきました(前編)

高木成太の黎明編です。

国見高校を卒業してプロサッカー選手になれなかったことによる挫折と、その後のプロキャリアスタート、そして北澤豪さんから教えられた本物のプロの精神とはなにかということなどが書かれています。

以下、記事を引用させていただきましたが、写真等がありますので、上部のリンクよりご覧ください。

【元サッカー選手 高木成太さん】元アスリートが語るスポーツの仕事「やる」から「つくる」へ-Vol.32-(前編)
「みんなに伝えたい“人生何が起こるかわからない”」

元サッカー選手、高木さんに話を聞きました

~第32回~
高木成太(たかき・なりた)さん/43歳
サッカー選手→サッカースクール、クラウドファンディング事業

文・斎藤寿子

“朝逃げ”するほど厳しい練習を乗り越え
レギュラーの座をつかむ
サッカーが盛んな長崎県長崎市で生まれ育った高木成太さん。2人の兄の影響もあり、物心ついた時からサッカーが一番の遊びだった。本格的に始めたのは、小学5年生のとき。現在、日本代表監督を務める森保一氏を輩出した『土井首サッカースポーツ少年団』に所属した。当時、全日本少年サッカー大会の常連という強豪で、練習は厳しく、最初は嫌々だったという。それでも練習するにつれて、少しずつ上達していくことが嬉しく、いつのまにかサッカーにのめりこんでいた。

「プレー自体に派手さはなく、チームプレーに徹するというタイプでした。だから、そんなに目立った選手ではありませんでしたね」

中学卒業後、進学したのは全国屈指の強豪校、国見高校だった。

「僕が本当に行きたかったのは、その年に誕生しJリーグの初代王者となったヴェルディ川崎のユースでした。だから中学3年生の時に、セレクションを受けに長崎から東京まで行ったんです。でも、結果は落選。国見は全国一練習が厳しいことは知っていましたから、行きたくないというのが本音で…でも、父親の勧めもあり行くことを決めました」

案の定、待ち受けていたのは地獄ともいえる過酷なトレーニング漬けの日々。全寮制ということもあり、授業とサッカーだけの毎日が続いた。そんな中、一度だけ寮を逃げ出したことがあった。

「1年生の終わりでしたね。朝練の前だから、“夜逃げ”ならぬ“朝逃げ”(笑)。厳しいトレーニングに全然ついていけなくて、心が折れてしまったんです。お金を持っていたのかどうかも覚えていないけれど、実家に逃げ帰りました」

するとその日、小嶺忠敏監督から実家に電話がかかってきた。“成太くんは精神的に弱いところがあるので、私が鍛え直します。ぜひ、戻ってくるように言ってください”。その電話を受けた父親の説得により、高木さんはしぶしぶ学校へと戻っていった。

その後、真面目に取り組み続けた結果、体も鍛えられ、練習にもついていけるようになった。すると2年生からレギュラーに抜擢。同級生にも優秀な選手が多く、3年生の時には優勝候補の筆頭に挙げられていた。しかし、最後の全国高校サッカー選手権は2回戦で敗れた。あの時の悔しい思いは、今でも忘れられないという。
ラモス瑠偉さんからの電話で開かれたプロへの道

現役時代の高木さん。横浜FCなどで活躍後、2014年に現役を引退
高校卒業後の進路について、高木さん自身はJリーガーへの道を希望していた。実際、同じ学年の仲間たちは、レギュラー11人中8人がJリーガーになる夢を叶えていた。自分もそれに続けるものと思っていたが、現実は甘くはない。進路先に決定したのは、東亜建設工業サッカー部から、その年にブレイズ熊本と改名した実業団チームだった。

「その会社で新人は朝、社長の自宅の大庭園の掃除と飼い犬のお世話をしなければならないんです。しかも犬は大きなブルドックで、怖くて…。同じボールを追いかけていた仲間たちはJリーガーになったり、有名大学のサッカー部に入部するなど、エリートコースを歩んでいるというのに、自分は何をしているんだろうと…。もうサッカー選手は諦めていましたね」

そんな高木さんに転機が訪れたのは、社会人2年目の1997年。オーディション番組「ASAYAN」への出演が決まったのだ。

「当時、ラモス瑠偉さんの『Jリーガーオーディション』というコーナーがあって、それに義姉が応募したんです。『まぁ、でも受かるはずないだろう』と思っていたら、書類審査に受かったとかで、九州ブロックのオーディションに出場することになって…。人生、何が起こるかわかりませんね(笑)」

結局、高木さんは最終メンバー20人に選出され、東京での最終オーディションに臨んだ。内心では自信があったという高木さんだが、結果は落選。たった一人の合格者になることはできなかった。すでにブレイズ熊本を辞めていた高木さんは、仕方なく実家でアルバイト生活を始めた。

そんなある日のこと、実家に一本の電話が鳴った。それはラモスさんからで、ヴェルディ川崎での練習の誘いだった。

「当時、ラモスさんは京都パープルサンガに所属していたのですが『またヴェルディに戻ることになったから、お前も練習に来いよ』と言ってくれたんです。もちろん断る理由はないので、すぐに東京に向かいました。そしたら練習に、ずっと子どもの頃から憧れてきたカズさん(三浦知良)とかがいるわけですよ。昨日まで地方の小さなスポーツ店でバイトをしていた自分が、スター軍団と一緒に練習をしているなんて…本当に奇跡でした」

もちろん、無名の選手がラモスさんの呼びかけで練習に参加したことに対して、よく思わない選手はいたという。だが、高木さんはそれを気にする余裕はなかった。とにかく自分をアピールして正式に入団することが先決だったからだ。2週間後、チームと正式に契約を交わした高木さんは、20歳にして、ついにプロサッカー選手の夢を叶えた。

そして、高木さんは同じポジションで活躍していた北澤豪さんに、プロとして重要なことを学んだという。ある日の練習中、練習後のクールダウンでランニングをしていたときのこと。数カ月後に開幕する日韓サッカーワールドカップについて、高木さんは何の気なく北澤さんに聞いてみた。

「ワールドカップ観に行きます?」

その言葉に、北澤氏は不思議そうな表情でこう返答した。

「まだメンバーは発表されていないんだ。君は、代表に選ばれるつもりでやっていないのか?」

その瞬間、高木さんは恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちになった。“これが本物のプロ。大事なのは叶えられるかどうかではなく、本気で目指そうとするかどうかなんだな”。技術面だけでなく、意識にも大きな差があることを知った。

1999年に横浜FCに移籍。途中、1シーズンはヴェルディ川崎にレンタル移籍したが、5シーズンにわたって横浜FCでプレーした。

「全盛期は、横浜FC時代。あの時期、一番サッカーが楽しかったです。JFLからJ2への昇格に貢献できましたし、収入もあったので、ちゃんとプロになれたという実感を得ていましたね」

2005年以降は5チームを渡り歩き、2014年に現役引退を決意した。(前編終わり)

(プロフィール)
高木成太(たかき・なりた) 1977年4月生まれ、長崎県出身。長崎県立国見高校卒業後、実業団チームのブレイズ熊本に入団。この時に、ASAYANのJリーガーオーディション受け、それがきっかけとなりヴェルディ川崎に入団。99年に横浜FCに移籍し、JFLからJ2への昇格を果たした。2005年以降は5チームを渡り歩き、2014年に現役を引退。現在は、サッカースクールを開催するほか、クラウドファンディング事業の創出にも力を入れている。

※データは2021年3月9日時点

メディア情報:GATHERさんに高木成太を登場させていただきました(後編)

セカンドキャリアのこと、国見高校の後輩である平山相太さんとのエピソードなど紹介していただきました。

以下、記事を引用させていただきましたが、写真等がありますので、上部のリンクよりご覧ください。

【元サッカー選手 高木成太さん】元アスリートが語るスポーツの仕事「やる」から「つくる」へ-Vol.32-(後編)

「別業界の人の話を聞くことでキャリアの選択肢が広がる」
元サッカー選手、高木さんに話を聞きました

~第32回~
高木成太(たかき・なりた)さん/43歳
サッカー選手→サッカースクール、クラウドファンディング事業

文・斎藤寿子

現役中も引退後も大事にしている
“学びの場”

引退後はサッカースクールを開始するなど、サッカー関連の仕事を行っている
1998年にヴェルディ川崎に入団し、プロサッカー選手となった高木成太さん。2014年に現役を引退したが、実は現役中から引退後のことを考え始めていたという。横浜FC時代の2000年には神奈川大学経営学部を受験し、見事に合格。当時現役アスリートが大学に通うのは稀なことだった。

「引退後のことを考えていたのと、サッカー以外の人と会う時に知識の“差”を感じたことが大きかったですね。具体的に何をしようというのはまだありませんでしたが、とにかく勉強は必要だなと思ったんです」

引退後は、TOKYO23FC U-18監督やサッカースクールを開始するなど、サッカー関連の仕事を行っている。加えて、高木さんは新たに視野を広げるため、昨年開校した「日本営業大学」の二期生として8月~11月の3カ月間、講座を受けた。

「日本営業大学」は、アスリートのセカンドキャリアを”教育”と”採用”で支援することを目的としたもので、ビジネスにちなんださまざまなテーマの講座を選択して受けることができる。経済に関心の強い高木さんは特に「日本経済新聞の読み方」という講座が面白かったという。

「“名刺の渡し方”という講座など、今更聞けないようなビジネスの基本も学ぶことができたので、すごく役立ちましたね」

教育にとどまらず、具体的な就職支援を掲げている日本営業大学では、3カ月の受講の最後に、会員企業とのビジネスマッチングの場を設けている。受講者が企業の方たちの前でビジネスプランを発表するのだ。

そこで高木さんがプレゼンテーションしたのが『2nd Happy Project』。引退したアスリートと、そのセカンドキャリアを応援・支援してくれる人たちとの縁をつなげる、というものだ。

きっかけは、FC東京などで活躍した平山相太さんが3年前に現役を引退した時のこと。国見高校の後輩でもある彼に何か贈りたいと考えた高木さんは、アパレルメーカー“サッカージャンキー”に直談判をして5枚限定でTシャツを制作。国見時代のストライプのユニフォーム姿の平山氏がデザインされたTシャツを販売し、そのお金を退職金代わりに渡そうと考えたのだ。すると、その案に友人がこう言ったという。

「お金だけ渡すなんて、ちょっと寂しくない。どうせなら、人と人とが結びつくようなことをしたらどうだろう」

結局、平山氏に対しては限定のTシャツを本人に渡すだけで終わってしまったが、その友人の言葉に影響を受けた高木さんは『人と人との縁』がつくれるようなことをしたいと考え始めた。
引退後もサポーターとの縁をつなげる
プロジェクトをスタート

“サッカージャンキー”に直談判をして制作した平山相太さんのTシャツ。これがきっかけとなり、引退したアスリートとサポーターとがつながれる新規プロジェクトをスタート
実際、2019年にクラウドファンディングを活用した『2nd Happy Project』を高木さん自身が主となりスタート。すると引退から5年も経過しているのに、92人が支援し目標金額の50万円を超える61万5000円に到達。さらに横浜で行ったサッカーイベント&懇親会には20人ほどが参加してくれた。

「これだけの方が私を憶えていてくれて、尚且つプロジェクトをサポートしていただいたことが本当に嬉しかったです。やはり、直接ファンと触れ合うというのはいいですね! 選手はひっそりと引退するんじゃなくて、今まで応援してきてくれた感謝の気持ちと、“これからも頑張ります“ということを伝える場があるのは大きいと実感しました。

だから引退試合ができなくても、イベントなどで直接ファンと会うことでつながりができるといいなって。そこで名刺交換をして、もしかしたらビジネスの話が出てくるかもしれませんしね。選手が引退した後、社会に出ていく、そのつなぎ目の部分で何か手伝えたらなと思っています」

その傍ら、高木さんは子どもたちの親や指導者向けへの座学を開催する計画を昨年から立てている。

「引退をして思ったことは、本気でサッカーをやりたいっていう子供たちが多いんです。僕自身、無名から奇跡的にJリーガーになれた。そういう人生を歩んだ私だからこそ、“夢を応援しているよ”と子供たち伝えたいんです。だからこそ、それをきちんと家族が理解し、応援してくれるような座学を開きたいと考えています」

現在は、自身の子どもの頃からのエピソードを作成し、公式ホームページで閲覧できるようにする予定。高木さん自身のことを知ってもらい、企業やチーム、学校などの講演活動につなげていきたいと考えている。

エリートコースを歩んでこなかった自分だからこそできることがある。その信念を持って、これからも活動の幅を広げていく。

最後に、引退後のキャリアを考えている現役選手に向けてアドバイスを聞いた。

「競技に100パーセント集中しているのは当然です。それでよいと思いますが、何か社会と繋がるような時間を持つことが、大事だと感じました。私も現役時代の時に、サッカー関係者だけではなく、政治家やホテルに勤めている人など、様々な人に会いに行きましたね。“どうしてその業界を目指したんですか?”とか、サッカー選手とは違う人生を聞くことができて、それが今のプロジェクトのアイデアになったり、自分の人生の参考になったりしています。別の業界の人に話を聞いてみると、キャリアの選択肢が増えるはずです」

(プロフィール)
高木成太(たかき・なりた)
1977年4月生まれ、長崎県出身。長崎県立国見高校卒業後、実業団チームのブレイズ熊本に入団。この時に、ASAYANのJリーガーオーディション受け、それがきっかけとなりヴェルディ川崎に入団。99年に横浜FCに移籍し、JFLからJ2への昇格を果たした。2005年以降は5チームを渡り歩き、2014年に現役を引退。現在は、サッカースクールを開催するほか、クラウドファンディング事業の創出にも力を入れている。

※データは2021年3月16日時点

当スクール出身・澁谷雅也くん(国士舘大)がF.C.大阪に入団決定

当スクールに2008-2010年に通っていた澁谷雅也くんが、JFLのF.C.大阪に入団いたしました。

NSP CLUBとしては全面的に彼の応援をしてまいります。

雅也!Jを目指してがんばれ!・・・と、先ほど電話で本人と話をしました。

NSP CLUBサッカースクール出身・澁谷雅也くん

NSP CLUBサッカースクール出身の澁谷雅也くんが国士舘大学サッカー部で活躍しています。

彼はサッカーを楽しむということを実践してくれています。

頑張れ!雅也!!!